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Klagegrund

 「あのメーカー(「ErogameScape-エロゲー批評空間-」における「ブランド」と同意)の作品は必ず買う」ということはしません。必ず、個々の作品につき検討した上で、購入の可否を決めます。実際、私の場合、全ての作品をプレイした特定のメーカーというのはありません。また、私は『天使のいない12月』に最高得点を付けていますが(2010年7月23日現在)、それを世に出した「Leaf」の作品についても2作品しかプレイしておらず、自分にとって良かった作品を送り出したメーカーとて例外扱いしていません。
 クリエイターについても同様です。「あの人の作品は必ず買う」ということはありません。私がそうしない理由は、2つあります。

 まず1つ、エロゲーがコンポジットなメディアであることが挙げられます。物語がテキストで構成されていることは間違いないですが、しかし、エロゲーは物語だけで構築されているわけではないことも疑いようのない事実です。画があって、音があって、それらを同時に動かすためのシステムがあります。そして、それら全てを1人の人間がこなしているわけではありません(同人作品等ではごく一部例外もあるようですが、その場合2つ目の理由がさらに重くのしかかるでしょう)。組織における基本中の基本たる分業を行っています。そして、分業を行っている以上、複数人が制作に関わっていることになります。
 たとえ1人で携わっていても、同じクオリティを維持できることが保障されることはないのですから、それが複数人になれば、なおのこと不確定な部分が増え、種々のぶれ幅が大きくなります。同じ人間が集まったとしても、時の流れは止まらず、社会の流れも止まらないことから、同じ状況で同じように作品を制作できるわけではありません。必ず、何かが異なります。そして、何かが異なれば、もはや保障も何もないわけです(少なくとも私にとっては)。コンポジットなメディアにおいては、もはや異なることは必然と言えるでしょう。異なるものを無条件に受け入れることは、私にはできません。

 もう1つは、エロゲーの制作環境が極めてシビアであることです。私は、エロゲーの制作会社に詳しいわけではありませんが、エロゲー産業が極めて小さな市場であり、仮にゲーム産業に絞ってもなお小さな市場であることは自明です。そして、小さな市場には限られた資源しかないこともまた自明です。人的資源こそ、潜在的なものも含めれば、見通しは悪くないのかもしれませんが、いかんせんそれを支える資本が限られており、このことはエロゲー業界の最大手といわれる企業の会社規模からも窺えます。そして、資本のなさは時間的制約の強さと比例関係にあります。
 つまり、限られた資源の中でエロゲーが制作されている場合、あれもやりたいこれもやりたいと思っても、限られた資源の枠を超えては実現できないわけです(時間的制約が一番厳しいでしょう)。それは、完成品として私達の目の前にある作品が作り手がやろうと思っていたことの100%でない、という可能性が十分に考えられることを意味します。
 もちろん、100%でないことが未完成品ということではありません。あれもこれもと詰め込まなかった結果、洗練されるということもあり得ます。しかし、「厳しい制約下で十分な作品に仕上がっているのか」という点については、十分に目を向ける必要があるでしょう。

 色々と理由を並べましたが、結局のところ、私がエロゲーに関わる種々の要素を信用していないということに収斂するかもしれません。特に疑り深い人間だと言われたことはないのですが、懐疑的な物の見方をする傾向については否定できないところです。一方で、信用・信頼というものが局所では極めて重要な意味をもつことも理解してます。疑うべきところは疑う、信用すべきところは信用する、その見極めが大切なのだろうと思います。
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